皆様の暮らしの中にいつも金鳥の渦巻

暮らしのなかにはいつも変わらず、
「金鳥の渦巻」があります。

130年にわたる長い伝統を築くなかで、
新しい技術は、いつもゼロから生まれました。

明治18年、創業者である上山英一郎がH・E・アモア氏と出会い、当時日本になかった除虫菊の種子を手に入れて130年もの歳月が経ちました。世界初の渦巻型かとり線香の開発をはじめ、エポックメーキングなさまざまな商品づくりを通じて、いつも健やかで快適な暮らしを提案。
KINCHOは新しい伝統への第一歩を踏み出したところです。

金鳥の創業者 上山英一郎の肖像

金鳥の「商標」が登録されたのは明治43年(1910年)のこと。創業者・英一郎は「自社の製品が世界中で親しまれ、愛され、人々の健康に役立ちたい」という夢を、この商標に託しました。そして、製品の品質の高さによることはもちろんのこと、伝統的な宣伝戦略によっても「金鳥の渦巻」は、その夢の通りに日本や世界の家庭で親しまれるようになりました。
大正から昭和にかけては、美術品と言ってもよいほどの美しい石版刷りのカラーポスターを数多くつくり、今や懐かしいボンネットのついたトラックに飾りをつけて街頭宣伝をしたり、懸賞つき大売出しの新聞広告を打つなど、広告宣伝も活発に行いました。

  • 「栽培の手引書」は昭和10年まで版を重ねた

  • 「金鳥の渦巻」
    (大正8年ごろ)

  • かとり線香の手巻き風景
    (昭和28年ごろ)

  • 昭和初期の海外向けポスター

  • 戦後、本社前に勢揃いした街頭宣伝隊

「金鳥」の商標のいわれ

司馬遷によって編纂された中国史上初の歴史書「史記」のなかの「蘇秦伝」に、中国戦国時代の遊説家・蘇秦は、韓、魏、趙、燕、楚、斉の王たちに同盟を結び、秦に対抗すべきであると説き、「それぞれ小国であっても一国の王としての権威を保つべきだ。秦に屈服するな」ということを伝えるために、「鶏口と為るも牛後と為る勿れ」という言葉を引用しました。つまり秦に屈して牛の尻尾のように生きるよりも、小とは言え、鶏の頭(カシラ)になるべきであると、各国の王を説き、合従策を完成しました。
この一節を信条としていた上山英一郎は、明治43年(1910年)「金鳥」の商標を登録しました。業界の先駆者として「鶏口」になるべき自覚と気概を持ち、品質をはじめ、あらゆる面で他より優れたトップの存在であることを願い、決して「牛後」となることがないよう自戒を込めた決意にほかなりません。今後も常にメーカーとして、品質、信用、経営どの角度から見てもナンバーワンであることを追求してまいります。