除虫菊が結ぶセルビア共和国と金鳥
「除虫菊」のふるさと、セルビア共和国との関係について

1886(明治19年)
創業者 上山英一郎、除虫菊との出会い

明治18年、創業者である上山英一郎がH・E・アモア氏と出会い、当時日本になかった除虫菊の種子を手に入れて130年もの歳月が経ちました。
この間、世界初のかとり線香の開発をはじめ、エポックメーキングなさまざまな商品づくりを通じて、いつも健やかで快適な暮らしを提案してまいりました。除虫菊は、金鳥の長い伝統の出発点であります。
もともと除虫菊はユーゴスラビア(現セルビア共和国)が原産地で、その効用が14~15世紀に発見されたと言われています。ある女性が野原から摘んできたこの花を部屋に飾っていたところ、枯れてしまった除虫菊の花束の周りでたくさんの虫が死んでいるのを発見しました。以来、その花の殺虫効果が研究されるようになりました。17世紀から18世紀前半にアメリカに渡り、19世紀末になってわが国に入ってきたわけです。
この時から、除虫菊を通じて、セルビア共和国と金鳥とのつながりが始まったのです。

尾道市「白いじゅうたんの丘」 
金鳥が尾道市と1980年から尾道市立美術館の南側斜面にて続けている観賞用の除虫菊畑。

除虫菊の花

1929(昭和4年)
上山英一郎、大阪駐在ユーゴスラビア王国名誉領事に任命される

日本の除虫菊栽培量は順調に増加し、明治38年(1905)には日本産除虫菊の本格的な輸出が始まりました。当時、除虫菊のほかに殺虫剤原料はなく、害虫対策の重要な商品でした。英一郎は原料輸出だけでなく、蚊取線香や除虫菊エキスを抽出して殺虫液を開発し、除虫菊の用途を広げる努力をしました。1920年代に日本の除虫菊の輸出量はユーゴスラビアと競合するまでに成長し、1930年頃にはその生産量は世界一となります。このように除虫菊の用途を開発し、効率のよい除虫菊の栽培方法を考案して生産量を拡大したことから、昭和4年(1929)、時の国王アレキサンドル一世は、英一郎に大阪駐在ユーゴスラビア王国名誉領事の称号を贈りました。さらに、翌年の昭和5年(1930)、上山勘太郎が大阪駐在ユーゴスラビア王国名誉副領事に任命されました。

英一郎夫妻に贈られたユーゴスラビア名誉領事の身分証と玉璽

  • 旧本社(領事館前)

  • 在阪外国領事団 白浜上山英一郎別荘訪問記念

在阪外国領事団寄贈の釣鐘

昭和11年(1936)、英一郎に対し、アレキサンドル一世からコンマンドール・サンサバ勲章が下賜されました。
在阪のヨーロッパ5カ国(イギリス、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、チェコスロバキア)の領事団がその受勲を祝い、和歌山県白浜の英一郎別荘を訪問した際に、その記念として釣鐘を寄贈してくださいました。

2004(平成16年)
上山直英社長、在大阪セルビア・モンテネグロの名誉総領事に就任

第二次世界大戦後、1952年にユーゴスラビアと日本との外交関係は、東欧諸国の中で最も早く復活したものの、金鳥との親交は、一度は途絶えておりましたが、再び上山直英社長が、在大阪セルビア・モンテネグロ(旧ユーゴスラビア、現セルビア)の名誉総領事に就くことになりました。これは、セルビアと日本が伝統的に培ってきた友好関係を、さらに発展させたいという想いがこめられたものです。

  • セルビア・モンテネグロ名誉総領事委任状

  • セルビア共和国名誉総領事館の真鍮製看板

  • 左端 プレドラグ・フィリポヴ駐日大使
    右から二人目 逢沢一郎外務副大臣

  • 上山直英社長 セルビア・モンテネグロ名誉総領事認証式
    (於 在日本国セルビア・モンテネグロ大使館
    2004年9月28日 左はプレドラグ・ボシュコヴィッチ外務副大臣)

在大阪セルビア共和国名誉総領事館

Honorary Consulate-General of the Republic of Serbia in Osaka

2006年(平成18年)モンテネグロとの連合解消により「セルビア・モンテネグロア」は「セルビア共和国」となり、上山直英社長もあらためて「セルビア共和国名誉総領事」となりました。

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