「かとりせんこう」はいつできたのですか?

明治19年に「じょちゅうぎく」がアメリカから伝わり、それを原料とする「かとりせんこう」がつくられるようになったのは、明治21年からで、はじめは粉末でした。

明治23年に「ぼう(棒)」のかとりせんこうが生まれましたが、ぶつだんのせんこうのように細かったため、1本で40分くらいしかもたず、長い時間使うことができませんでしたまた、ほそいためききめも弱く、はこんでいる間におれやすいという欠点もありました。

そこで、けんきゅうされ、もっと長い時間つかえて、ききめを高くする方法として、明治28年(1895年)に「うずまきがた」のかとりせんこうがかんがえだされました。

棒状蚊取り線香

なぜ「金鳥の渦巻」は左巻なのでしょうか?

昔、かとり線香は手で巻いて作っていたので、当時は右巻でした。
昭和32年(1957年)頃から機械で打ち抜くようになり、他社品は右巻が多かったので、区別するために左巻にしました。

蚊取り線香の手巻き風景
(昭和28年頃)

「かとりせんこう」のけむりに、害はないのですか?
金鳥のかとりせんこうは、蚊を殺す成分であるピレスロイド系薬剤を木粉などの植物性粉末にまぜてつくっています。かとりせんこうのけむりは、ぶつだんせんこうやたき火の時に出るけむりと同じで、けむりそのものには害はありませんが、部屋をしめきって「かとりせんこう」をつかうと、けむりがこもり、目やのどに多少のしげきを感じることがありますので、部屋をしめきらず、換気をよくしてください。
なぜ「うずまきがた」をしているのでしょうか?

明治23年、ぶつだんせんこうをヒントにして、「ぼう(棒)のかとりせんこうが考えられました.しかし、「ぼう」のかとりせんこうでは、1本で40分間くらいしかもたず、長い時間使うことができませんでした。また、ききめも弱く、はこびにくいという欠点がありました。そこで、けんきゅうされ、もっと長い時間つかえて、ききめを高くする方法として、明治28年に「うずまきがた」のかとりせんこうが考えだされました。

棒状蚊取り線香

なぜ「かとりせんこう」で「か」が死ぬのでしょうか?
「かとりせんこう」には、ピレスロイド(ピレスロイド系殺虫剤アレスリン)というさっちゅうせいぶんがふくまれています。「かとりせんこう」をもやすことによって、このピレスロイドが目に見えないような小さなものになって、空気中にちらばります。そして、ピレスロイドが虫の体の中に入り、虫のしんけいをこうげきして、こうふんさせ、やがてケイレンをおこしてマヒじょうたいとなって、虫をころします。しかし、虫にはよくきくピレスロイドも、人や犬、ねこなどにはあんぜんなので、あんしんして使うことができます。
「かとりせんこう」は何からできているのでしょうか? なぜ「みどり色」をしているのでしょうか?
かとりせんこうは、かすこ(粕粉:じょちゅうぎくのゆうこうせいぶんをとりさったあとのこな)、もくふん(木粉)、タブこ(タプ粉)、でんぷんをまぜあわせて、さっちゅうざい(ピレスロイド系殺虫剤アレスリン)をくわえたものからできています。それらをまぜると茶色っぽい色になります。これに、せんりょう(染料)を使って、みどり色にしています。なぜ、みどり色にするかというと、茶色っぽい粉がきれいにそまる色の1つであることや、かとりせんこうはほとんどがあつい夏に使いますので、すずしい色にということ。また、かとりせんこうができるまでは、かやり(蚊遣り)といって、ヨモギの葉などのくさ(草)をもやしてむしよけをしていました、そのくさ(草)の葉の色をイメージしたのもみどりにした、りゆうのひとつです。

関連商品

  • 金鳥の渦巻