金鳥のあゆみ 昭和時代(戦前)

1926年 昭和元 副社長・勘太郎、約一年間の予定で欧米視察に出発
1927年 昭和2 ユーゴスラビア国から日本商工会議所を通じて、除虫菊取引の妥協を申し込まれる
1928年 昭和3

フランス・ペルメル氏創案の家庭常備薬ペルメルを製造販売

ペルメル初期の商品

1929年 昭和4

英一郎、大阪駐在ユーゴスラビア名誉領事に任命される

英一郎夫妻に贈られた
ユーゴスラビア
名誉領事の身分証

1930年 昭和5 関西金鳥販売株式会社創立
長男・勘太郎、大日本除虫粉株式会社社長に就任(41歳)
1931年 昭和6 東京金鳥販売株式会社創立
1932年 昭和7 英一郎のユーゴスラビア名誉総領事就任披露式を大阪中央公会堂で開催
1933年 昭和8 尾道支店開設
1934年 昭和9

兵庫県長州工場設立、液体殺虫剤「キンチョール」の製造態勢を整備
デリス製剤「金鳥臭虫薬」
殺虫液(特許)キンチョール発売

ビン入りの
キンチョールと噴霧器

1935年 昭和10 社名を大日本除虫菊株式会社に変更
1936年 昭和11 東京支店開設
1937年 昭和12

大阪工場建設開始

大阪工場

1938年 昭和13 三男・英夫(後の勘太郎社長)日本勧業銀行を辞し、当社副社長に就任(39歳)
1939年 昭和14 勘太郎社長、日本除虫菊輸出組合理事長に就任
1940年 昭和15

自動輪転打ち抜き式渦巻型蚊取り線香製造機完成

輪転式自動蚊取り線香
打ち抜き機

1942年 昭和17 大阪市西区土佐堀二丁目に本社移転(現本社所在地)
勘太郎社長、陸海軍嘱託として東南アジアに出張中、シンガポールで航空機事故のため死去(享年53歳)
1943年 昭和18 副社長・上山英夫、勘太郎を襲名し、大日本除虫菊株式会社第三代社長に就任(44歳)
英一郎逝去 (享年81歳)